教室紹介

医療政策・管理学とは

医療においては、政策(policy)に基づいて管理(manage)する必要があることから令名された学問領域である。Policyは「政府の策」と日本語で訳されており、確かに政府の政策によって医療のあり方は大きく変わる。だが、それだけでなく、policyには基本方針という意味もあり、医療機関においては医師を始め職員の提供するサービスの質を保証し、公益性を優先するという理念に基づいて管理する必要があることにも由来している。

病院を医師の仕事場から、患者サービスの場へと改革するために病院管理学は導入された。米国英国で確立され、戦後の日本においても徐々に医学部の講座として開設されるようになった。

教室の歴史

(1)昭和38(1963)年~昭和59(1984)年

本教室は「病院管理学教室」として、昭和38(1963)年に開設され、当時、University of Pittsburghへの留学から衛生学公衆衛生学教室に戻った倉田正一が初代教授に就任した。当時は、未だ他には東北大学、日本大学に講座があるのみで、日本病院管理学会が発足したのも同じ年である。開設の大きな目的の一つは慶應義塾大学病院のあり方に向けられていたが、倉田は海外における病院管理学の発展を見据えた上で「病院管理学は、病院の内部管理の諸問題のみ研究対象とすべきではなく、むしろ地域に展開される医療の中で病院をとらえてゆくことの重要性」を強く認識し、病院の内部管理に関する研究と地域の医療供給体制に関する研究の両方に軸足を置く研究活動を行った。当時既に、「健康の増進から疾病予防、早期診断、診断治療、リハビリテーションまでを含めた包括的な医療という立場にたつと病院だけでその需要に答えることはできまい」という認識で「地域社会」に注目していたことは特筆されよう。

前者においては、「病院の経営、管理技術の開発」を主たる研究分野とし、経験と勘にたよっていた従来の病院管理に対して科学的な方法論を導入する努力がなされ、特に人間工学で行われてきた諸手法の病院での適用が試みられた。後者においては、「地域医療」を主たる研究分野とし、「医療提供」を学問的に体系立てることをめざした。さらにここから発展し「医療面におけるコンピュータ利用」が3つ目の研究の柱として掲げられていた。

なお、この時代の本教室が慶應義塾大学病院で担った役割として病院調査室がある。倉田は、教室開設後、病院の機能分析に着手していたが、昭和41(1966)年に病院調査室が設置されると倉田が室長となると共に、教室の教員が室員を兼務し、病院の諸問題について報告書をまとめて行った。また、調査室は、病院の情報処理システムの導入(当時、EDPS [Electronic Data Processing System]化と称した)と運用についても中心的な役割を担った。

(2)昭和59(1984)年~平成8(1996)年

倉田の定年退職後は、当時講師だった池上直己が教室を主宰することとなった。池上はその後、助教授を経て、平成2(1990)年総合政策学部教授として湘南藤沢キャンパス(SFC)の開設に尽力するが、その間も兼担教授として、その任を果たした。

この時期、診療報酬制度や医療費、長期ケアや精神医療に関わるコスト分類に関する研究が着手され、医療政策や医療経済に関係する研究分野が拡大しつつあった。

(3)平成8(1996)年~平成27(2015)年

平成8(1996)年に池上が総合政策学部より医学部に戻り、教室名を「医療政策・管理学教室 (Department of Health Policy and Management)」に変更した。これは、当教室が「病院」の「管理」にとどまらない幅広い課題に取り組んできた実態に合わせたものであった。

1990年後半から2000年頃に多数発表された長期ケアや精神医療に関するケース・ミックス分類(コストがなるべく一定となるような患者群を同定する方法)は、その後、政策検討の際の重要な足がかりとなった。そして、医療制度に関する政策比較研究、マクロの国民医療費やミクロの費用対効果を扱う医療経済研究の重要性は高まり、さらに介護領域においても多くの研究が発表された。この時期、当教室に在籍した山内慶太は看護医療学部の開設に当たり助教授として異動した(後に教授)。また、池田俊也は国際医療福祉大学教授へ、坂巻弘之は名城大学教授へ、山田ゆかりは東京医科歯科大学助教授へ、石橋智明はダイヤ高齢社会研究財団研究部長と赴任した。

教室員の関心や時勢により扱う課題は幅広くなっているが、いずれの課題においても長期的視野による普遍的かつ学術的な価値と施策に対応した社会的な価値の両方を実現するような実証研究を行うことが基本方針である。

一方では、病院管理の実務にも積極的に取り組んでおり、池上は慶應義塾大学病院のクリニカルパス委員長や医療保険指導部長などに就任している。また、吉村は医療政策・管理学の実証研究における基礎的方法論である疫学・生物統計学の専門知識を基に、学内の臨床教室と共同で臨床疫学研究を行って来た。

学問の性質上、塾内他学部との連携も多い。特に大学院健康マネジメント研究科は、開設に当たり、池上と山内が開設準備委員会の委員として、医療マネジメント専修の構想と具体化に参画した。平成17(2005)年の開設後も、取り扱う課題が近接していることから、相互に密接な連携をもちながら今日に至っている。

学外での社会活動も活発で、政府の検討会や委員会の委員、医師会や病院団体の委員もつとめた。

池上は、国際交流にも意欲的に取り組んでいた。国外一流研究者との共同研究、国際会議や、海外での講演活動が多く、義塾のグローバルセキュリティ研究所と世界銀行が主催した医療保障の国際会議でも中心的役割を果たし、さらに日本政府・世界銀行共共催の国民皆保険プロジェクトのリーダーも務めた。

平成27(2015)年の池上の定年退職後は、当時東京大学大学院医学系研究科医療品質評価学講座特任教授であった宮田裕章が教授に就任した。

平成23(2011)年頃より「ビッグデータ」という言葉が急速に注目されるようになり、医療においては、電子カルテや診断群分類(DPC)など診療業務とともに蓄積されるデータの他に,レセプトデータ(NDB)やがん登録,そして、宮田も発足メンバーの1人であるNCD(National Clinical Database)のような学会等が主体である臨床データベース、ゲノムデータベースなどが存在する.これら蓄積されたデータを活用した「医療の質向上」を目的とする取り組みは、今後の医療政策を検討する上で重要となるものである。

平成27(2015)年6月に宮田もメンバーを務めた保健医療2035策定懇談会より「保健医療2035提言書」が公表された。この中で2035年までに必要な保健医療のパラダイムシフトとして,医療資源の投入による均質なサービス提供による評価の時代から,今ある医療資源の効率的な活用やそれによってもたらされる成果の管理や評価を行う時代への転換が盛り込まれている.また,それらを可能とする医療現場主導の取り組みによる臨床データベースの充実を積極的に支援することとされており,医療政策を検討する上で膨大なデータを効果的に活用するための方法について日々関心が高まっている。さらに,保健医療分野におけるICT活用推進懇談会(宮田も構成員として参画)では,国民が健康な状態から医療や介護が必要な状態になるプロセスを通じて、多様な情報源から収集した保健医療データを統合した情報基盤となる「Person-centered Open PLatform for well-being:PeOPLe(ピープル)」を、2020年度を目標に段階的に整備し、本格運用の開始は2025年度を予定している。これら医療データ基盤を用いた解析から得られるエビデンスを活用して医療政策に貢献していくことは,本教室においても重要な使命と捉える.学術的な医療政策に加え,医療分野でのデータサイエンス活用の成果を積極的に社会に実装することはこれまでにはない取り組みであった.当教室が深く関与する川崎市殿町の国際戦略拠点キングスカイフロントは,「医療産業化」も含めたより幅広い視点からの医療政策として今後も注力していくものである。

また、吉村は、医療政策・管理学の実証研究における基礎的方法論である疫学・生物統計学の専門知識を基に、学内の臨床教室と共同で臨床疫学研究を行っている。さらに、病院における人的資源管理について、実務を行いつつ、大学院経営管理研究科と共同研究を行っている。

医療政策・管理学教室では、医療機関における経営や安全管理といった従来の病院管理にとどまらず、製薬会社や情報システム企業等といった民間企業や官公庁など産官学連携を通した研究活動を通して幅広い視点から医療政策を取り扱っている。